地獄のハーフタイム

ディナモ・キエフの伝説、「1942年8月9日死の試合」から67年
 
昨日のディナモ・キエフの試合、イリイチェヴェツ・マリウポリ相手に3-1で勝ちました。
開幕4連勝。それもどの試合も完勝。
 
ディナモ・キエフと言えば、アンドリー・シェフチェンコがかつて所属し、大活躍していたクラブで、ドイツ占領下にあってドイツ空軍クラブと「死の試合」を行ったことで知られていますね。
 
より正確に言うと、この「死の試合」は、ディナモ・キエフに所属していた選手たちが中心になった(ロコモチフなど他のクラブだった選手たちもいた)パン工場のサッカークラブ「FKスタルト」(Старт)が行ったものでした。
「FKスタルト」(Старт)は、3シーズンぶりに再開されたウクライナチャンピオンズシップで、ウクライナ民族主義者というかドイツ同調者というか日和見主義者というか、とあるディナモ・キエフに恨みを持つ男、ゲオルギー・シュヴェツォフが選手兼監督を務めるFKルフ(Рух)との試合(7:2で勝利、1942年6月7日日曜日)を皮切りに、ハンガリー軍駐屯部隊チーム(6:2で勝利、同年6月21日日曜日)、ルーマニア軍駐屯部隊チーム(11:0で勝利、同年?日、2週間後だとすると7月5日日曜日)、ドイツ軍のクラブPGS(6:0で勝利、同年7月17日金曜日)、ハンガリーMSGウォル(同年7月19日日曜日5:1で勝利、再試合の7月26日3:2で勝利)と、結局無敗でシーズンを終えました(しかも圧勝の試合が殆ど)。
・・・のはずですが、ドイツサイドのチームがスタルトに全然勝っていないのはまずいというので、シーズン終了は延期され、翌週の8月6日(木曜日)にもう1試合行われることになりました。
それがFKスタルトとドイツ空軍のクラブ「フラッケルフ」との試合でした。フラッケルフは勝つ気満々だったらしいのですが(それは当然だけど)、試合はスタルトが5:1で楽勝。
翌7日にはキエフの通りにはこんなポスターが。
 
早々にリベンジ・マッチが決まったのです。
1942年8月9日日曜日、これが後に「ディナモ・キエフの死の試合」と呼ばれるようになる、伝説の試合です。
FKスタルトの選手たちは、ドイツ側からは勿論、試合後の心配をする人たち(市民やライバルクラブのルフやルーマニア軍クラブの選手たち)から「この試合は絶対に勝ってはいけない」という脅しや忠告を受けていました。
にもかかわらず、スタルトは5:3でフラッケルフに勝利しました。
 
この後(試合の直後ではありませんが)選手たちは逮捕され、一人は拷問によって殺され、三人はシレッツ収容所で銃殺されました(1943年2月24日とされる)。
 
映画「勝利への脱出」の素材となったエピソードとして、サッカーファンには有名な話ですね。
この映画にはシルベスター・スタローンやペレが出演し、エンターテイメント映画としてとても面白い作品であることは異論はありません。
経緯も結果も相当史実とは変えていますが、それはまあ許されることでしょう。
 
私は次のような疑問を持ちました。
・こんな有名なエピソードを、翻案することなく、映画化した作品はないのか?
・「勝利への脱出」はアメリカ映画だが、この事件の当事国であるドイツ、ウクライナ(当時はソ連)では、映画化されていないのか?
誰彼となく尋ねてみました。
すると、私としては思ってもみなかった事実を教えてくださった方がありました。
 
「勝利への脱出」の元になったハンガリー映画がある。
それは「地獄のハーフタイム」というタイトルだ。
 
知らなかった!!!
調べてみたら、ウィキペディアの、日本語のには載っていないのだけど、英語のページにはこんな記載があったのです。
(以下青字部分は引用)
 
Basis of the story
The movie is based on the 1961 Hungarian film drama Két félidő a pokolban ("Two half-times in Hell"), which was directed by Zoltán Fábri and won the critics’ award at the 1962 Boston Cinema Festival.[1]
The film was inspired by the true story of Dynamo Kyiv’s players, who defeated German soldiers while Ukraine was occupied by German troops in World War II. According to myth, as a result of their victory, the Ukrainians were all shot. The true story is considerably more complex, as the team played a series of matches against German teams, emerging victorious in all of them, before finally being sent to prison camps by the Gestapo. Most of the team were killed there, but a few survived.
 
これですよ!ハンガリー語原題<Két félidő a pokolban >、英語でのタイトル<Two half-times in Hell>、監督はファブリ・ゾルタン(Fabri Zoltan)、1961年ハンガリー。
詳しくはこちらを。
 
教えてくださったのは映画評論家の山田和夫氏です。ありがとうございます!
 
ハンガリーは当事国そのものではないのですが、立派に関係国ではあるのですね。
ディナモ・キエフ(当時はFKスタルトとなっていたわけですが)がそのシーズン戦ったのは、ウクライナ親独派クラブのルフ、それに枢軸国だったハンガリーとルーマニアの駐屯部隊のクラブ、それにドイツのフラッケルフでした。
その中で一番「惜しい試合」をしたのがハンガリーMSGウォル
また、映画「勝利への脱出」のロケはハンガリーで行われたのでした。81年というとまだ東西冷戦下。
東欧の中では比較的西欧との交流のあったハンガリーが選ばれたのでしょうか。
 
今年、2009年は、1942年と同じ曜日。
そう、67年前の「死の試合」も、日曜日だったのでした。
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