カリャーギンのチェーホフ論

エトセトラ劇場のアレクサンドル・カリャーギンとワフタンゴフ劇場のウラジーミル・シーモノフ。
二人の名優の競演。
すばらしい。
特にシーモノフに感動した。
カリャーギンはもちろんよかった。
 
チラシによれば演目に予定されていたのは
「異国で」
「精神病者たち」
「暇つぶし」
「わるもの」
「外交官」
だったが、実際上演されたのは
「異国で」
「変わった親子」
「ばあさんとグウタラ神父」
「判事と犯人」
「やっかいなお使い」
であり、これは2001年の来日公演と全く同じだったとのこと(友人たち談)。
そうだっけ。
「異国で」「ばあさんとグウタラ神父」「判事と犯人」は観ていたら記憶が甦ってきた。
 
・・・そうか。
上と下はタイトルの日本語訳が変わっているだけか。
«На чужбине»
«Психопаты»
«Канитель»
«Злоумышленник»
«Дипломат»
 
 
以前のよりずっとよかったように思えた。
特にシーモノフが(と繰り返しになるが)。
月並みな言い方ながら、各話の出だしはお二人の早変わりにまず笑いが起こるのだが、観ているうちに引きこまれ、ほんとにロシアのおばあちゃんやら妻を亡くした下っ端役人やらに見えてくる!
二人の演技に関しては、5000円のチケットはちっとも高いとは思わなかった。
 
しかし。
しかし、あれは何なんだ、あれは。
日本語字幕がつかないので、事前に各話の粗筋が書かれたプリントを渡されていたにも関わらず、それと全く同じことを、各話の前に通訳が棒読みする。
いとわろし。
シアターΧは小さな劇場なのだが、その人の発声では後ろの席までは届かない。
でも、聞こえないならその方が不快にならなくて良かったかも。
あれは「金返せ!」と思ったし、中にはその通訳の棒読み場面では耳をふさいでいる人もいたくらいだから。
その人はロシアの文学や演劇に非常に造詣の深い教養人ではあるけれど、俳優修業をした人ではないらしく、あがっていたこともあるのだろう、イントネーションがところどころおかしくて、とても安心して聞いていられないという代物だった。
もちろん、私がやれと言われてやったら、あんなものか、もっとひどいことになるのだろう。
しかし、カリャーギンとシーモノフがすばらしかっただけに、繋ぎの場面の興醒め加減は、私にとっては<半端ない!>ものであった。
舞台に立つからには、やはりちゃんとしたプロの俳優がやってほしい。
「助成金がつかなかったから、プロを雇うお金がなくて、彼女で間に合わせたのだろう」という指摘もあったが、それならただあの音楽を流してくれているだけでいい。
あのワルツって、どうしてあんなにチェーホフに合うのだろう…
 
それと、「判事と犯人」の<判事>という訳には違和感を覚える。
日本語で判事というと、まず裁判官を想起する。
が、あの場面では取り調べをしているから刑事か、検事(起訴検事)という趣き。
そう。あれは『罪と罰』のポルフィーリーさんみたいな、<予審判事>っていうものなのでしょう。
でも、やっぱり<判事>じゃない…と感じる。
 
さて、舞台で演じている時以外はとっても控えめにしていたシーモノフに対し、演出もしているカリャーギンは随分と饒舌。
サービス精神旺盛で、すばらしいスピーチを、劇の前後にし、これにも大変感銘を受けた。
 
カリャーギンははチェーホフの短編小説、特に短編ユーモア小説の重要性を強調。
それはそうでしょ。
でも「日本人にとってロシアと言うと、チェーホフとチャイコフスキーでしょう」というはどうかしら?
レフ・トルストイとドストエフスキーじゃないかしらね。
多くの日本人にとってチェーホフとは、「かもめ」や「桜の園」などの戯曲を書いた人、というのはまあそうなんでしょう。
 
 
 

 

◇СПЕКТАКЛЬ 第9回シアターΧ国際舞台芸術祭2010

チェーホフ生誕150年記念 メイン・テーマ<チェーホフの鍵>

第9回シアターΧ国際舞台芸術祭2010

20106/1(火)-7/4(日) 両国・シアターΧ

エトセトラ劇場「人物たち」 спектакль «Лица»

 アレクサンドル・カリャーギン演出・構成

 6/9(水)19:00

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