星・暁・大地

お誕生日祝いに友人から貰ったDVD「東部戦線1944」をやっと観た。
 
こういうラストはソ連→ロシアならでは。
派手派手ではないけれど、戦闘シーンはそれなりに見応えがあり、主人公トラフキン以下偵察隊員の描き方もまあまあ。スズメくん(ヴォロビヨフ)や現地人ブィコフのエピソードは映画や小説なんかでどうも既視感があったりもするのだが。
そうそう、「炎628」主演当時高校生だったクラフチェンコがおっさんになって出演しています。
しかし!「鬼戦車~」や「トルペド~」には遠く及ばないのは、女性の描き方がなっていないことです。
カーチャの存在、余計!ただの足手まとい!
『戦争は女の顔をしていない』などを読むまでもなく、戦場でこんな恋愛感情むき出しの女性兵士が現実にいたとは思えない(しかも周囲黙認)。
男性って、こういう態度取られて嬉しいですか?映画でもこういうシーンがあった方がいいと思うのですか?
(「レッドクリフ」でも余計なラヴシーンがあって頭にきたが、ほんとあんな感じ。)
タルコフスキーの「僕の村は戦場だった」にも女性は出てくるけれど、こんなに不快感は持たなかった。
ラストの、ソ連兵の犠牲のもとにポーランド解放がなされ、東欧の地に倒れた兵士の魂が花となって…云々のナレーション、今ロシアが懸命になっている「歴史捏造対策」※の一環なのでしょうが、当のポーランド等「東欧」諸国の人が聞いたら鼻白む思いがすること必至。
※ソ連をナチス・ドイツと同様「占領者」とみなす東欧・バルト諸国の認識に反発し、ソ連を「ファシズムからの解放者」と位置づけるもの。メドベージェフさんはそういう委員会を発足させました。
「鬼戦車~」や「トルペド~」や「僕の村は~」の頃はそんなことは言わずもがなだったのにね。
とはいえ、あの名作「誓いの休暇」でも、アリョーシャが葬られている墓には「違う文字」での墓標が、というくだりがあって、ラテン・アルファベットということはドイツかポーランドか?と想像し、個人的には善良な若者なのに当世その地の人たちにそのお墓が邪魔者扱いされているとしたら悲しいよな~と思ったのだった。(今思えばバルト諸国かもしれない。)
 
字幕で「ギムラー」というのがありましたが、「ヒムラー」ではないかと。
あと、暗号名が(やたら単純で心配になってしまうというのは置いといて)「アース」とか「スター」とかいう字幕になっていて、それだとあんまり雰囲気でないですね。
やはり「ゼムリャー(大地・地球)」「ズヴェズダー(星)」だよね~と思う。
アースとスターはまだしも、私の英語の語彙力だと「ドーン」と書かれると擬音語かと思った。そしたら映画では「ザリャー(暁)」と言っているではないか。
(ちなみにウクライナにはザリャー・ルガンスクというサッカークラブがある。)
 
こちらにも感想を載せています。
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